瀬戸川水系

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治水の歴史

瀬戸川水系の各河川は古くから流域の人々に、多くの恵みをもたらしてきました。しかしその反面、流域の気象、地形特性により数多くの水害も発生しました。

瀬戸川の中流から下流部の高い堤防は、江戸時代にその原型が形作られたと言われており、古くから住民が洪水との闘いを行ってきたことを物語っています。その中でも記録に残る最大の水害は明治43年(1910年)に発生したもので、朝比奈川・葉梨川改修記念誌などによれば、3日間の連続雨量が877㎜に達し、1,200ヶ所にも及ぶ山地崩壊が発生しました。
これによる大量の土砂と濁水が川へ流れ込み、流域全体で破堤311箇所、堤防の決壊が5,917間(10,650m余)、浸水面積17,962反(約1,780ヘクタール)、浸水家屋3,332戸、死者30人という甚大な被害が生じました。
その後も明治44年(1911年)、大正3年(1914年)、大正11年(1922年)と大きな水害が続いたため、大正13年(1924年)から昭和8年(1933年)にかけて、瀬戸川水系で最初の近代治水事業が瀬戸川、朝比奈川、葉梨川で行われました。これらの治水事業では河川改修工事とともに砂防工事も行われるようになり、土砂流出による被災は減少しつつあります。

この3河川の現在の流路は概ね、このときに整備されたものです。この時の河川改修は瀬戸川については堤防補強や川ざらいなどで、昔の河川と流路の位置は大きくは変わっていませんが、朝比奈川、葉梨川については、この改修により大きく変貌しました。明治時代の地形図によれば当時の朝比奈川の流路は、瀬戸川との合流直前で大きく北側に蛇行し、その上流も何度も蛇行を繰り返していました。
このため今よりも河川の縦断勾配は緩く水がゆったりと流れていました。しかし、この改修事業で、周辺の耕地整理と合わせて流路を現在のように直線化にしました。