地形・地質
地形
流域は、東光寺谷川の上流部を除き約9割が平地部であり、流域に占める山地部の割合は少ないです。山地部である東光寺谷川上流は、最も標高の高い地点でも約440mの低山地で集水面積は小さいものの、流下先の平地部との標高差が400m程度あることから、洪水は住居の点在する山地部の谷底を一気に流れ下って平地部へ至っています。流域内の平地部は、縄文時代頃までは志太小浦(しだこうら)という入り江であったとされ、奈良時代の万葉集に収められた和歌にもその名を見ることができます。その後、繰り返された大井川の氾濫によって運ばれた土砂で扇状地が発達し、大井川下流部左岸の平野が形成されました。
このため、東西に広がる栃山川流域の地形は、大井川の位置する西側から東の方向へ緩やかに下る勾配を呈しており、栃山川や木屋川、黒石川、成案寺川の上中流部は、この勾配に従いほぼ直線的に駿河湾に向かって流下しています。河口を含む最下流部は流域内で最も標高の低い土地が広がっていて、波浪や潮位の影響を受けます。東進して流れ下る木屋川、成案寺川は駿河海岸に沿って形成された海岸砂丘によって、流れの向きを大きく変えています。海岸砂丘の後背低地は流水が地形的に滞留しやすい地形特性を有している地域です。
地質
東光寺谷川上流部の山地部は、古第三系瀬戸川帯の海底堆積物からなる砂岩、頁岩が互層を成す四万十帯瀬戸川層群が分布しています。平地部は、四万十帯瀬戸川層群を基盤とし、その上に大井川の堆積作用で形成された礫層が厚く堆積しており、水が浸透しやすい地質特性を有しています。志太平野は大井川や瀬戸川などからなる沖積平野であり、河川によって運ばれた肥沃な土地は古くから農耕が発達してきたところですが、灌漑(かんがい)用水の浸透量が多く、かつての水田は、通称「ざる田」と呼ばれ灌漑用水の確保に苦労してきたとされています。