治水対策と渇水
治水事業の沿革
大井川における治水の歴史は、平安時代に島田市付近に飛田(とんだ)堤防が築かれたことに始まります。天正18年(1590年)には、牛尾山付近の新川開削が行われ、牛尾山の西側を流れていた本流を締め切り、牛尾山の東側に新たに流路を開削したもので、現在の大井川の川筋が概ね形成されました。牛尾山の旧川締め切りのための築堤は山内一豊(やまうちかずとよ)が施工し、「一豊堤(かずとよてい)」として現在もその形を残しています。
大井川の伝統的な河川工法「大聖牛」「木工沈床」を用いた整備
大聖牛
大聖牛は、武田信玄の創案によるものと言われています。初めは山梨県の釜無川や笛吹川で施工されていましたが、信玄の勢力が拡大したことによって静岡県内の安倍川や大井川などに伝わって来ました。
棟木の長さが長いものを「大聖牛」と呼び、大井川に設置したのは長さが9mにもなる大聖牛です。聖牛は、その構造が単純ではありますが耐久性に優れているため、前面の洗掘を受けて前に傾斜しても良く形を保ち、下流に堆砂効果をもたらします。一般に急流河川の砂礫移動の激しい箇所の水制、締切り工事などに適した工法です。
木工沈床
木工沈床は、粗朶沈床の改良型として明治半ばに考案されたものです。丸太を井桁に組重ね、内部に玉石を充填します。詰石の脱落を防ぐために表面には張石を施してあります。沈床は「粗朶沈床」と「木工沈床」の2つに分けられ、木工沈床は急流河川に適した工法です。方格材の締付けに以前はボルトを用いていましたが、屈撓性(くっとうせい:応力に対してしなるように曲がる性質)に欠けるため、現在では丸鋼を通し折り曲げて緩く締付けています。
木工沈床は常に水中に在れば腐食せず、大井川では施工後50年以上も経過しているところもあります。
木工沈床の模型
渇水被害と渇水調整等の現状
大井川では、平成元年以降10ヵ年で取水制限が実施されています。渇水対策については、大井川水利調整協議会において協議・決定されています。