歴史・史跡
島田宿大井川川越遺跡(島田市)
東海道の難所として知られた大井川には川越制度がしかれ、幕府管理の施設や川越人夫たちの番宿や商いの店が並び賑わっていました。その一部として川越しの料金を決めて川札を売る川会所や、川札を換金する札場、川越人足の集会所である番宿などが復元保存されています。
大井神社(島田市)
大井神社では3年に一度日本三奇祭のひとつ「島田の帯祭り」が行われています。大井川の上流・川根本町大沢から流着したという伝承を持つ大井神社は、大井川沿いを中心に74社あったといわれ(現在46社)、しばしば氾濫する大井川から土地を守り、子孫繁栄を祈ったのが最初と考えられています。島田大井神社は江戸時代には「大井大明神」と仰がれ、島田宿の氏神としてまた旅人の守り神として信仰されてきました。
舟形屋敷(藤枝市、島田市ほか)
かつて氾濫を繰り返していた大井川下流域では、氾濫に対しての自衛策として水屋が作られていました。洪水流が来る上流側の石積みや土手を高く築き、その様子を上空から見ると舟の舳先や三角に見えるため、舟形屋敷(三角屋敷)と呼ばれています。
大井八幡宮(島田市)
大井八幡宮は、社伝によれば平安時代の初期延暦年間(781~805年)に、大井川の水霊を鎮めるため「大井神」として祀ったのが始まりとされ、鎌倉時代建久年中(1189~1198年)遠州豊田郡の八幡宮(現磐田市府八幡宮)から八幡神を勧請し、やがて「大井神」と合祀され「大井八幡宮」と呼ばれ藤守郷の中心的な鎮守となりました。