馬込川水系

馬込川,芳川,御陣屋川,北裏川

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治水事業の沿革と現状

馬込川流域における治水事業の歴史は古く、「続日本紀」によると、「天平宝字五年(761)七月十九日に大雨があり、荒玉河の堤が三百余丈(約900m)にわたって決壊し、その修築に延べ30万3,700人が動員された」とあり、これは災害復旧事業に関する日本で最初の記録とされている。荒玉河(麁玉川)は天竜川のかつての右派川であり、「遠江風土記伝」によると「天宝堤、平口より有玉に至る、凡そ長さ百町余、昔麁玉川の水を防ぐ堤なり」とあり、当地では天竜川の氾濫流を治めることが大変重要であったことが分る。天宝堤の一部は現存し、市指定の史跡となっている。また、天宝堤より北方において延宝3年(1675)に「彦助堤」が完成し、これにより現在の馬込川流域は天竜川の派川から分離された。
近代における馬込川の治水で先ず着目されるのは河口閉塞対策であり、明治44年(1911)の直流工事や大正元年(1912)の千本杭による安定化工事によっても解消されず、近隣住民が声を掛け合って水路を開く「みなと掘り」の習慣が昭和初期まで続けられた。その後、昭和11年(1936)頃策定の「馬込川上流部及び河口改修計画書(静岡県土木部)」では河口部の改良と合わせ掃流用水を天竜川から取水し馬込川に注水する必要性が記載され、昭和17年には浜名用排水幹線改良事業による天竜川からの掃流用水取水(毎秒10.85立方米)と馬込川への注水が静岡県知事によって許可され昭和22年に注水が開始されるとともに、昭和33年から河口部に導流堤が建設され昭和42年に完成した。昭和54年以降は船明ダム直下流から河床変動に影響されない安定取水が可能となり、また天竜川からの土砂供給量の減少による海岸の侵食傾向もあって河口の全面閉塞による問題は生じなくなったが、河川工事のために掃流用水の取水量を減らす秋以降に高波浪が発生した場合には河口部で局所的な土砂堆積が発生するため、大雨時の水位上昇による下流域の農地湛水被害の発生が懸念される。
一方、河道改修については、昭和3年から当時の農林省により浜名排水幹線改良事業の調査・測量が行われたことに始まる。この調査・測量により用排兼用状態の抜本的解消による洪水氾濫防止と中下流部の乾田化を図ることとされ、昭和7年に馬込川排水幹線改良事業として、馬込川河口部から旧北浜村と旧麁玉村新原との村界までの改良を含む計画書が作成された。工事については、内務省の産業振興土木事業として県土木部が中下流部を施工することとなり、昭和10年から昭和23年にわたり芳川合流点から上流16キロメートル余りの区間を施工した。
本格的な河川改修は、昭和39年に着手した中小河川改修事業により局所的な築堤・護岸整備等を中心として進められたが、沿川の都市化に伴う地域の変容は著しく、新たな将来の見通しを踏まえた全体的な計画をたてる必要性から、昭和49年に「馬込川水系中小河川改修工事全体計画」を策定して改修を継続するとともに、昭和55年には耐震対策河川事業により下流部の津波対策として堤防嵩上げに着手した。昭和57年には全体計画を変更し、流域の市街化に伴う流出増への対応とともに流路修整により河積の拡大を図る改修工事を進め、昭和60年7月1日に当該流域を襲った台風6号による被災箇所の復旧のため、曳馬町〜十軒町の1,825mの区間において昭和60年〜63年にかけて災害復旧助成事業により河床掘削及び護岸整備を実施した。平成2年からは“ふるさとの川モデル事業”として市街地のまちづくりと一体となった良好な水辺空間の整備を行ない、平成9年には工事実施基本計画を策定した。これまでに、御陣屋川合流点より下流において段階的な整備が完了しており、引続き上流に向けて整備を継続している。
また、浜松市により流域全体で浸水被害の軽減を図る取組みが行われており、上流域では浜北区を中心に、市街化が顕著で改修が困難な小河川の上流等に流出抑制機能を有する雨水貯留施設が多数整備されているほか、下流域の低地部を中心とした内水地域では、農地等の湛水被害防止を目的とした排水機場が設置され、浜松市の関係部局により適切な管理が行われている。
馬込川流域における過去最大規模の浸水被害は、昭和49年7月の七夕豪雨(床上浸水460棟、床下浸水2,787棟)、及び昭和50年10月の豪雨(床上浸水333棟、床下浸水7,015棟)であるが、段階的な河川整備の効果により近年は、堤防を越える外水による浸水被害は発生していない。しかし、平成10年9月、平成16年9月、平成16年11月等の豪雨では支川の高塚川周辺など下流域の低地部を中心に地形的な要因から内水被害が多発しており、その対策が課題となっているほか、平成27年9月の台風18号による豪雨をはじめとし、水位観測地点松江において3年連続ではん濫危険水位を超過し、避難勧告が発令されるなど、甚大な浸水被害の発生がこれまで以上に危惧されている。
津波被害に関しては、安政元年(1854年)に発生した安政東海地震により、浜松市の沿岸部に高さ4m程度の津波が到達した記録が残っている。馬込川の津波対策は、静岡県第3次地震被害想定に基づき、TP+6.0mで河川堤防の嵩上げが概ね完了している。東日本大震災を踏まえた静岡県第4次地震被害想定(平成25年)では、発生頻度が比較的高く、発生すれば大きな被害をもたらす「計画津波」※1と、発生頻度は極めて低いが、発生すれば甚大な被害をもたらす「最大クラスの津波」※2の二つのレベルの津波が設定されており、馬込川では「計画津波」は河川内を約3.4km以上遡上するとともに、「最大クラスの津波」では、河川及び海岸堤防を越流し、沿岸部で最大約1,500ha以上が浸水すると想定されている。

※1 計画津波:静岡県第4次地震被害想定で対象としている「レベル1の津波」
※2 最大クラスの津波:静岡県第4次地震被害想定で対象としている「レベル2の津波」