歴史・文化
「一村一家※1」に記されているとおり、庵原川流域は、豊かな自然に恵まれ、古くから文明が発達した。大乗寺遺跡は、旧石器時代のナイフ形石器、縄文時代前期の住居跡状の竪穴とともに多数の土器や石器類が発掘されており、この頃から当地域において人間の営みが行われていたことが伺える。
弥生時代後期になると、庵原川流域でも農耕が始まり、軍事面や洪水への備えのため、海側に面した丘陵地を中心に農耕集落が形成され、原平遺跡、宮平遺跡などが確認されている。
古墳時代には、大和勢力によってすすめられた国家統一の動きが4世紀後半に波及し、やがて律令制のもと「廬原国」は駿河国に組み込まれ、「駿河国廬原郡廬原郷」が設置された。
また、「いほはらの文化展」によると、駿河国が成立する大化の改新以前には「廬原国(五百原国)」の中心地があったとも言われており、静岡県内最古の寺院跡の1つと見られる「尾羽廃寺」や、古代の地方官庁としての「廬原(いほはら)郡衙(ぐんが)」などはこの時代に造られたとされる。
このほか、流域内には、古墳時代前期に建立された三池平(みいけだいら)古墳など史跡2件、朝比奈信置が再興した一乗寺(いちじょうじ)の建造物、彫刻、天然記念物など5件、真言宗の修行の場として開かれた名勝の伊佐布北滝など、県指定文化財3件、市指定文化財10件の計13件が文化財に指定されている。
(※1:庵原地区まちづくり推進委員会が発行した庵原地区の歴史書)
遺跡等の分布図(出典:庵原川水系河川整備計画)
文化財・史跡(出典:庵原川水系河川整備計画)