流域の歴史
庵原川流域は自然に恵まれ、南面の丘陵地帯には縄文・弥生の時代からの遺跡が多く、大化の改新以前には「いほはらの国」の中心地があったといわれています。
やがて律令制のもと「いほはらの国」は駿河国に組み込まれ、「駿河国廬(いほ)原(はら)郡廬原郷」が設置され、静岡県内最古の寺院跡の1つと見られる「尾羽(おばね)廃寺(はいじ)」や、古代の地方官庁としての「廬原(いほはら)郡衙(ぐんが)」などが造られたとされています。
明治から大正時代にかけて、どくえ(油桐)、三叉・楮(和紙の原料)の栽培から茶樹、果樹(みかん)への作物転換に成功し、昭和には「いはらみかん」と全国にその名を広め、現在もみかんを中心に樹園地として利用されています。
庵原川流域の土地利用変遷