流域の歴史
波多打川は昔は『角田川(すみだがわ)』あるいは『はと打ち川』などと呼ばれ、歌枕の名所としても名高く、正平6年(1351年)サッタ山合戦時に足利尊氏が旗を立てたので、それ以来『旗打川』と呼ばれたとも伝えられています。
また、波多打川流域は山に囲まれ、明治から大正時代にかけて、どくえ(油桐)、三叉・楮(和紙の原料)の栽培から茶樹、果樹(みかん)への作物転換に成功し、現在もみかんを中心に樹園地として利用されています。
流域の土地利用は、高度成長期の始まりの年(昭和31年)に比べ、安定成長期の始まりの年(昭和50年)、現在(平成21年以降)と市街地の進展がみられます。現在の市街地率は約6%で、高度成長期の始まりの年代の約3倍となっています。