中部の地史と地形
狩野川中部の地形は、標高10m程度の盆地状の低平地である田方平野を中心に、北側は標高1,101.8mの三国山をはじめとする箱根山系や火山性扇状地、東側と南側は標高798mの玄岳をはじめとする丹那山系や火山性山地、西側は標高452mの葛城山をはじめとする低山地に囲まれています。
地質は、山地の多くが浸透性の良い火山性地質で、また縄文海進時には大きな入江であった田方平野は粘土やシルトから成る沖積平野です。
田方平野を貫流する狩野川は、古くは大仁町付近で東西に分流し、東の流れが蛭ヶ小島や和田島などの自然堤防を形成しながら田方平野の東側を流下して、現在の大場川合流点付近に至っていたと考えられています。その後、9世紀頃から流路は逐次西遷し、鎌倉時代に伊豆の国市四日町の西で行われた「守山の開削」によって現在の流路に近い形状で安定するようになり、田方平野の利用が可能となりました。
しかし、かつて狩野川が流れていた地域周辺は現在でも地盤が低く、狩野川の増水時には自然排水が困難となる内水地域であることに変わりはありません。
狩野川中流域の地形(狩野川中流域の河川整備より)