中部の歴史
狩野川中部の歴史は古く、畑作や狩猟が中心でした縄文時代の遺跡が箱根山麓の丘陵地や低山地に多く分布し、稲作が盛んになった弥生時代の遺跡が田方平野周辺の微高地に多く分布しています。
飛鳥時代に三島や沼津を中心に敷かれた条理制は、現在の田方平野の農地区画や道路などの基本的な構造を形成しました。
また、北条政子生誕地である「願成就院」、源頼朝が流され約20年間を過ごした「蛭ヶ小島」や源氏再興を祈願して通った「三島大社」、江戸末期に江川担庵により大砲製造が試みられ現在もほぼ完全な形で残る「韮山反射炉」など、史跡も多く残されています。
中部の産業
狩野川中部に係る市町の総人口は、昭和45年から平成12年の30年間で1.5倍の約32万人に増加して、現在も増加傾向が続いています。
人口を産業構造別に見ると、第1次産業の割合は約3%で減少傾向が続き、第2次産業は約36%で微減傾向であるのに対し、第3次産業は約60%で増加傾向が続いています。