治水事業
古代の治水事業
天竜川の治水事業に関する記録としては、奈良時代の続日本紀の記述が最も古く天平宝字5年(761年)に堤防が決壊し、修築されたと記されています。
また、霊亀元年(715年)には地震により天竜川がせき止められ、その後決壊したとの記述もあります。
安間川流域の治水事業
安間川流域は天竜川の氾濫原にあり、明治元年の洪水や昭和20年の洪水など、古くから度々水害を受けてきました。
安間川では明治以降、戦時中の改修や昭和37年からの再改修など、主に農業基盤整備を目的とした改修を経て、昭和41年までに概ね現在の姿となりました。
また、昭和40~50年代に、流域内の土地利用形態の変化に対応するため、安間川へ流入する支川を中心とした改修工事が行われています。
近年では都市化により慢性化した浸水に対応するため、昭和59年~平成8年にかけて狭さく部の拡幅など局部的な改良を行っていますが、その後も浸水被害が発生しており、治水安全度は依然として低い状況にあります。
一雲済川流域の治水事業
一雲済川の治水事業は、昭和39年に県道掛川天竜線より下流の区間827mで改修が始まりました。
一雲済川流域でも溢水・越水により浸水面積524ヘクタール、床上浸水351戸、床下浸水296戸という甚大な被害に見舞われました。このような甚大な被害に見舞われたことを契機に、県道掛川天竜線から上流1,162m改修が行なわれました。その後、平成2年の豪雨により床下浸水等の被害が生じたことから平成3年に天竜川合流部より6,050m区間で改修が着手され、現在に至っています。