志太田中川水系

志太田中川,泉川

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文化・風習

志太田中川流域は、古くから大井川と深い関わりをもっており、大井川の氾濫による洪水が流域全体に及んだことが記録に残っています。「舟形屋敷」や「波除け・川除け地蔵」「藤守の田遊び」など、流域に暮らす人と大井川の洪水の歴史を感じさせる遺構・文化も見られます。

川除け地蔵堂

地蔵信仰は11世紀以降庶民の間でしだいに浸透し、冥界利益、現世利益の両面が深く信じられるようになっていきました。川除地蔵は、川などの決壊、氾濫を防ぎ水害から町を守ると信じられており、暴れ川の流域では特にその信仰が強く盛んです。川除け地蔵の分布は、そのまま氾濫域の歴史を伝え語るものであり、川除け地蔵を線で結んでみると、大井川の氾濫の軌跡が浮かんできます。

川除け地蔵の写真川除け地蔵

三角屋敷、舟型屋敷

三角屋敷とは、頂点を大井川の破堤によって暴溢してくる水の方向、つまり大井川の上流方向に向けて鋭三角形に屋敷どりをし、頂点からその二辺に囲い土手を築くことから後世名づけられたものです。
中には舟の舳先のような形に土手を築いた舟形屋敷などもあります。土手の頂点のところから土手に沿って溝が掘られ、洪水時溝に沿って流れ、土手が崩れにくいように工夫されています。一部には土手の内側にも溝をつけ、万一に備えている例もあります。

舟形屋敷の写真舟形屋敷

藤守の田遊び

国の重要無形民俗文化財に指定されている藤守の大井八幡宮の「田遊び」は著名で毎年3月17日の夜行われています。社伝によれば神社の創立は平安時代の初期の延暦年間といわれ、古棟札や元久2年(1205年)の古文書の写しに「大井宮」とあるように大井川の水霊を鎮めるために祀ったもので、現在の「大井八幡宮」の社名は鎌倉時代の建久年中遠江国府から川除け神として八幡宮に勧請合祀してからです。田遊びは平安時代の後期の寛和元年陰陽博士安倍清明に請託して社殿を新たに造立した時といわれ、以来千有余年絶えることなく例祭の折奉納されています。

吉永八幡宮の大名行列・鹿島踊り

吉永八幡宮は平安時代初期の大同元年創建といわれ、鹿島踊りは近世の文化13年から行われるようになった。例祭の折の神輿の御旅所への渡御に伴う鹿島踊りと大名行列は3年目ごと9月15日に行われ、平成8年静岡県の記録作成等の措置を講ずべき無形民俗文化財として選択された。

灯籠

水死者の霊を慰め供養するもので、竹篭に藁を詰めた柱松明の行事。現在海岸では観光的要素を加えて大規模に復活