治水事業
治水事業については、屈曲が著しく氾濫と流路の変化が顕著であった都田川において、明治34年に中川地先で改修工事が始まったが、その後も破堤を伴う洪水が頻発した。河口三角州である気賀沖通りでは、昭和元年に関係地主180余名が耕地整理を実施し、これに促されて昭和3年から昭和9年にかけて都田川の新川が開削された。昭和16年から昭和28年には、井伊谷川合流点から上流5.4km区間において、日雨量250㎜に対応する一次改修を行なった。また昭和36年以降は、堤防の漏水防止や護岸整備などの局部的な改良を行なっていたが、昭和45年からは明治43年8月洪水を踏まえた計画日雨量を345㎜とする新たな改修に着手した。昭和49年7月には七夕豪雨により各所で破堤し都田川では記録上最大となる甚大な浸水被害が発生したことにより、河川改修が促進されたことと併せて、昭和61年には上流の浜松市引佐町で農地防災ダム事業等による都田川ダムが完成し、平成18年までに井伊谷川合流点から須部地区までの築堤区間約9kmについて、蛇行の修正や築堤及び掘削などの河川改修を実施し、治水安全度が格段に向上した。支川の井伊谷川では、昭和49年7月の七夕豪雨により記録上最大の浸水被害が発生しているが、昭和47年に改修事業に着手し、引堤、築堤や掘削などを行なっている。 新川をはじめとする東部の河川におけるこれまでの主な事業としては、昭和47年から平成8年にかけて新川や東神田川など6河川で改修に着手し、そのうち3河川では現在も整備を行っている。新川流域では、昭和50年には、2,689棟が浸水する戦後最大の浸水被害が発生したが、平成12年に新川放水路が通水し、治水安全度が大きく向上した。近年では大規模な水害は発生していないが、新川の支川堀留川周辺の低平地では、内水氾濫により慢性的な浸水被害がある。
釣橋川や入出太田川を始めとする北西部の河川におけるこれまでの主な事業としては、昭和37年から同54年にかけて5河川で改修に着手し、そのうち入出太田川では、現在も整備を行っている。
浜名湖では、明応大地震(1498年)に伴う津波によって、浜名湖と海を隔てていた砂州が決壊して今切口が出現したが、その後も幾度となく津波や高潮による被害が発生している。代表的な津波被害は安政東海地震(1854年)に伴うもので、今切口の幅が360mから1,260mに広がり、湖内ほぼ全域に及んだ。なお、東日本大震災を踏まえた静岡県第4次地震被害想定(平成25年)では、発生頻度が比較的高く、発生すれば大きな被害をもたらす「計画津波」※1と、発生頻度は極めて低いが、発生すれば甚大な被害をもたらす「最大クラスの津波」※2の二つのレベルの津波が設定されており、都田川では「計画津波」は浜名湖内を湾奥部まで遡上するとともに、「最大クラスの津波」では、浜名湖を含む河川及び海岸堤防を越流し、沿岸部で最大約2,400ha以上が浸水すると想定されている。
※1 計画津波:静岡県第4次地震被害想定で対象としている「レベル1の津波」
※2 最大クラスの津波:静岡県第4次地震被害想定で対象としている「レベル2の津波」
図1-13 浜名湖今切口付近の状況(出典:都田川水系河川整備計画)
また代表的な高潮被害は昭和28年の台風13号によるもので、今切口の幅が台風前の5倍の約800mに広がり、今切口の内湾に位置する舞阪では最高潮位T.P.+2.25mを記録し、湖内ほぼ全域に及んだ。今切口は、鉄道敷設等の影響で潮流の阻害が始まり、幅と深さが徐々に縮小して舟の航行にも支障を及ぼしていたため、港湾事業によって昭和24年からの調査を経て昭和29年から固定化工事が始まり、昭和31年には現在の幅200mで固定され、昭和47年には導流堤等を含む固定化工事が完了した。
その後は、昭和54年の台風20号により舞阪でT.P.+1.51mを記録した高潮などが発生しているものの、被害は大幅に減少している。