小石川水系

小石川

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流域の歴史・文化等

・焼津市史によると、小石川流域で人間の生活が営まれるようになったのは、古墳時代以降と記録されている。現焼津神社の周辺で発掘された宮之腰遺跡でみられるように、大井川によって形成された微高地上に大規模な集落が形成されるとともに、その後背湿地で水耕が営まれるようになった。
・小石川は大井川用水の一部であり、藤枝市末広の栃山川の柳久保頭首工より藤枝市や焼津市内の水田に用水が送られ、これまで農業地帯として発展してきた。

歴史・文化

■奈良平安時代には、小石川流域上流側の藤枝では地方政治の拠点である郡衙がおかれ、また、江戸時代になると、東海道の22番目の宿場として藤枝宿が整備され交通の要衝として栄えた。
■一方で、大井川と瀬戸川の氾濫による洪水被害を幾度となく受けてきており、大井川の氾濫対策として築かれ、藤枝市青島に一部が残る「千貫堤」、川除け地蔵などの水除け信仰や「舟型屋敷」等、これまで水害に悩まされてきた歴史をみることができる。
■明治以降になり東海道線や藤相鉄道が開通し、さらに物流の便がよくなると、上流側の藤枝は、お茶・しいたけ・みかんなどの特産物の集散地としての重要な役割を担うようになり、農業・商業を中心に発展してきた。また、下流側の焼津は、水産物の出荷に好都合となり、漁業及び水産加工業が急速に発展してきた。
■小石川は大井川用水の一部であり、昭和22年度からの国営大井川農業水利事業により、農業用水が安定的に供給されるようになり、農業地帯として発展してきた。

 
昭和22年 国営大井川農業水利改良事業計画平面図

 
国営大井川用水農業水利事業 大井川一般平面図

文化財・名勝

■小石川流域には焼津市指定文化財として建造物1件、考古資料1件、合計2件が存在している。
■国指定文化財、静岡県指定文化財、藤枝市指定文化財は存在しない。
■流域外になるが、上流域の藤枝市青島に藤枝市指定の史跡である「千貫堤」がある。千貫堤は、江戸時代の寛永12年(1635年)に、田中城主の水野監物忠善が、大井川の洪水から領内を守る為に築かれた堤防で、その規模は全長500m以上、幅32m、高さ3.6mであったと記録されている。現在は、東名高速道路建設に伴う土砂採取のため消滅しており、一部のみ残存する。

 

 
文化財位置図