歴史
青野川の河口部は深い入江で天然の良港であったことから流域の歴史は古く、青野川の改修により発掘された日詰遺跡に見られるように、弥生時代から人々が生活し、海上交通の要衝として、また奈良・平安時代には鉄器の製造所として伊豆半島で最も栄えた所と言われています。
青野川上流の小野という地名や、小町橋、小野塚といった名称は西暦740年頃この地に流刑となった小野東人から付けられたと見られ、小野東人の娘の詠んだ和歌が残っています。
「浮草を かきわけ見れば 底の月 ここに有とは 誰か知らなん」
小野東人はこの和歌のおかげで流罪を許され、娘は東小町という称号を賜ったと伝えられています。この他、加畑神社の御神木で樹齢1000年以上と言われているビャクシンなど、流域には文化的、歴史的なものが多く残っています。