治水事業の沿革と現状
過去の災害については、昭和13 年(1938 年)の6月29 日に、大洪水に襲われており、土肥地区では、床上浸水186 戸、床下浸水715 戸、家屋流出10 戸、全壊8戸といった大きな被害を受けた。また、水神橋等多くの橋梁が流出し、堤防は至る所で決壊し、当時の様子を災害史には、「どれが川か田圃か道路か分からないほど、どこを見ても耕地はゴロゴロした大石で一面の河原だった」と災害史に記されている。そして、昭和36 年(1961 年)には、6月23~28 日にかけて梅雨前線が停滞したことにより、時間雨量最大65mm、累計雨量544mm の集中豪雨が発生し、短時間で河川を増水させ、背後地の山林の崩壊により多量の土砂、岩石等が大きな力となって川底を掘削し、堆積し、堤防の決壊をもたらせたと記されている。この豪雨により、土肥地区では、死者・行方不明5人、全壊家屋24 戸、流出家屋15 戸、床上浸水482 戸、床下浸水595 戸の被害が発生し、がけ崩れや山崩れが74 ヶ所で発生した。
このような被害を受け、災害復旧事業により河川工事が実施されてきた他、山川の上流や支川で砂防堰堤や治山ダム等が整備されてきた。昭和36 年以降、大規模な自然災害は発生していない。しかしながら、急峻な山地と脆弱な地質を背負う山川流域では、度々災害を引き起こしてきた歴史があり、今後の気候変動による集中豪雨の増加や山腹崩壊による土砂災害の危険性が高まるなど、河川の氾濫等が発生した場合の被害は大きくなることが懸念される。
現在、山川流域において、河川改修事業は行われていないが、土砂生産が多いために河床掘削による維持工事を実施している。
津波被害に関しては、嘉永7年(1854 年)に南海トラフ沿いの沖合域を震源とする安政東海地震(マグニチュード8.4)が発生し、東海地方から紀伊半島南東部にかけての太平洋沿岸部で甚大な被害が発生した。土肥地区では、北部の旧大藪村で5.0m、南部の旧屋形村で4.4mもの浸水高さの津波が襲い、92 戸のうち46 戸が浸水、2戸が流出し、死者13 人の被害が発生したとの記録が災害史に残っている。この時の津波に関しては、遡上到達場所を示すものと伝えられている安楽寺入口付近の「波尻観音」や、曳いていた馬に乗って逃げ込み命拾いしたという土肥神社に奉納された馬の像など、歴史を後世に伝えるものが遺されている。
山川の津波対策は、静岡県第3次地震被害想定に基づき、TP+5.5m での河川堤防の嵩上げが右岸側で完了しているが、左岸側については、隣接する海岸の津波対策が完了していないため、河川堤防の嵩上げ整備が実施されていない。
東日本大震災を踏まえた静岡県第4次地震被害想定(平成25 年)では、発生頻度が比較的高く、発生すれば大きな被害をもたらす「レベル1津波」と、発生頻度は極めて低いが、発生すれば甚大な被害をもたらす「レベル2津波」の2つのレベルの津波が設定されており、山川では「レベル1津波」が河川内を約0.8km 以上遡上し、「レベル2津波」では、河川及び海岸堤防を越水し、土肥港の背後で最大約54.5ha 以上が浸水すると想定されている。