竜今寺川水系

竜今寺川

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歴史

竜今寺川水系の歴史

竜今寺川流域は、古くから農業を基盤として栄えてきた地域であり、水田化は早く進み、多くの古墳が分布しています。平安時代中期の承平年間 (931~938年) に作られた辞書「和名抄」には流域の土方(ひじかた)などの郷名が記載されています。戦国時代になると、上流域の急峻な地形は天然の要害として利用され、今川・武田・徳川の激しい合戦の場となりました。かつてこの地域には東の菊川、西の東大谷川までを含む入り江があり港として利用されていましたが、1707年(宝永4年)の大地震によって隆起し、港が消滅したとの記録が残されています。1889年(明治22年)には流域に土方村、大坂村、大淵村などが置かれましたが暫時合併が進み、左岸のほとんどが小笠郡大東町(1973年)、右岸が小笠郡大須賀町(1956年)となりました。現在では、2005年4月1日の合併により流域全域が掛川市となっています。

海岸線の変遷の画像海岸線の変遷

大渕のさなぶり

田植え後の深夜に豊年満作を祈願する祭り「大渕のさなぶり」が現在も伝承されています。

大渕のさなぶりの写真
大渕のさなぶり