土地利用
明治から大正、昭和にかけて、山地の森林が果樹園に、平野の田が建物用地へと変化したことが大きな特徴です。
これらの土地利用の変化の要因として、交通網と都市機能の充実とそれに伴う人口増加が挙げられます。
昭和初期、用宗駅周辺の臨海部は、国道150号線等の交通網の整備、宅地や公共用地の区画整理事業が行われました。これによって、漁港後背地を中心に、東西南北に走行する区画街路ができ、新興住宅、工場区域として流域の発展の拠点となりました。
昭和51年(1976年)と平成28年の土地利用を比較すると、下流部から中流部における宅地面積の割合が流域全体では5%程度増加しています。特に、昭和60年(1985年)3月の安倍川駅開業以降、JR安倍川駅付近からJR沿線の宅地化が進み、水田・畑地・果樹園の割合が減少しています。また、上流域の水田・畑地・果樹園、森林の割合や分布区域に大きな変化は見られません。