文化財
藁科川治水碑
藁科川の治水に努めた36人の功績を称えた徳富蘇峰の詩が刻まれています。木枯の森(藁科川1.5km付近)の八幡神社の前に建てられています。
安倍川修堤碑
大正3年の水害で被害を受けた堤防の改修に尽力を注いだ湯浅知事の功績を讃え大正13年8月に地元の有志により建てられた記念碑で、碑の建っている堤防(6.5km左岸付近)は「湯浅堤」と呼ばれています。
有功堤碑
安倍川中流部左岸の諸岡山にある石碑で、洪水に効果のあった横堤(13.0km左岸付近)が安政2年6月の洪水で流出し、その後、廃止されたが村民の強い要望により明治8年2月に改めて築造されました。この碑には横堤の有効性が述べてあります。
安倍川義夫の碑
大事な財布を落とした旅人と、落とし物に気が付いて届けた川越人足・喜兵衛の双方の善行を称え、昭和4年に安倍川橋(4km付近)の東端に立てられた石碑です。
財布を届けてもらった旅人は感謝し喜兵衛に礼金を渡そうとしていましたが、固辞されたため、町奉行所へ申し出ました。奉行所は旅人に礼金を返し、改めて自分の金を川越人足に与えたといわれています。
安倍川架橋碑
安倍川橋(4km付近)の架橋を記念して弥勒公園内に建立された石碑です。
題字は徳川家達により書かれたものです。
俵沢にある水神社
安倍川21.5k付近左岸の堤防の上に祀られた水神社です。6月中旬の田植え終いに幟(のぼり)が張られ豊作祈願が行なわれます。稲作に必要な水を得るために、また洪水から水田を守るために祈願されてきました。
牛妻にある水神社
牛妻の坂下地区の北端で曙橋(17km付近)の手前に祭られた水神社です。牛妻は安倍川上流部への船運の基地で、船頭や筏師が自分達は勿論のこと、船や筏の安全を祈願するための神社です。
弥勒にある水神社
この水神社は、『駿河国新風土記』で江戸時代の寛文年間(1661年~1673年)に祀られたとあります。東海道(安倍川橋4.0km付近)を行き交う人々に水の害が及ぼさないよう祈願するための神社です。
浅間神社
浅間神社は、神部神社・浅間神社・大歳御祖神社の三社を総称したもので、古くから信仰を集めています。特に徳川氏の崇敬が厚く、現在ある社殿も徳川氏によって建てられました。4月に行なわれる廿日会祭は、静岡まつりと連同して盛大に行なわれています。第二次世界大戦後、名称を富士山本宮浅間神社と変更し、さらに昭和57年3月11日富士山本宮浅間大社と変更して現在に至っています。
牧ヶ谷にある川除地蔵
安倍川・藁科川流域には各所に地蔵尊像が見られます。藁科川1.8km付近右岸などの川辺りに建つ「川除地蔵」は川の災害から人々を守るように祈願を込めて建てられたものです。
中野新田にある川除地蔵
藁科川2.5km付近左岸の中野新田にある川除地蔵は、江戸時代中期以前に築造された堤防の上に祀られており、地蔵尊像には安永9年(1780年)11月の年紀銘があります。