流域の遺跡
登呂遺跡
登呂遺跡は、かつての安倍川の氾濫によってできた微高地(自然堤防)上に発達したものといわれています。昭和27年特別史跡に指定されてから考古学者をはじめ、社会科研究の資料として全国から学生や生徒の参観が絶えません。遺跡は、住居跡、倉庫跡、水田跡、森林跡など、当時の建築様式を知ることができます。弥生時代後期の農耕文化を知る上で貴重な遺跡として全国的に有名です。
駿府城址
徳川家康は、関ヶ原の合戦に勝利し、慶長8年(1603年)江戸に幕府を開いた後、慶長10年(1605年)に将軍職を秀忠に譲りました。慶長12年(1607年)駿府に隠居し、元和2年(1616年)に死去するまでの9年間、実際の決定権を持ち“大御所政治”として駿府で采配を振るいました。家康は駿府を隠居の地と定めるとすぐに城の修築に掛かり、わずか5ヶ月間で出来上がり入城しました。また家康は城の修築とともに、駿府の町づくりも行いました。