神沢川水系

神沢川

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歴史

清水区蒲原では、縄文時代初期の頃から台地に人々が集落を形成し居住していたものと推定できるような、多くの遺跡が発見されています。
蒲原郷は、駿河国廬原郡六郷(するがのくにいおはらぐんろくごう)のひとつの宿駅として開かれ、蒲が一面に繁茂していたためその地名で呼ばれたそうです。また、富士川西岸一帯が「蒲原」と呼ばれるようになったのは鎌倉時代に入ってからだと言われています。
江戸時代には東海道蒲原宿の宿場町として栄え、江戸時代の絵師・歌川広重による蒲原の浮世絵には、雪の宿場町を歩く旅人が描かれており、当時の賑わいを感じることができます。
また、この時代には富士川の東岸に洪水を防ぐための雁堤(かりがねづつみ)が築かれ、蒲原は幾度と富士川の洪水氾濫による被害を受けましたが、安政の大地震(1854年)で西岸一帯の地盤が隆起した後は、富士川の洪水による被害を受けていません。
なお現在では、旧蒲原町は平成18年3月に静岡市に合併されています。

清水区蒲原の街並みの写真
清水区蒲原の街並み

東海道五十三次絵巻(蒲原)の写真
東海道五十三次絵巻(蒲原)