東大谷川水系

東大谷川,深田川

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歴史

東大谷川水系の歴史

東大谷川流域は、古くから農業を基盤として栄えてきた地域であり、水田化は早く進み、多くの古墳が分布しています。戦国時代になると、上流域の急峻な地形は天然の要害として利用され、今川・武田・徳川の激しい合戦の場となりました。高天神城(掛川市上土方嶺向)をめぐる戦いの落ち武者が東大谷川流域に土着し、後に大淵という地名が着いたと言われています。かつてこの地域には東大谷川から東の菊川までを含む入り江があり、港として利用されていましたが、1707年(宝永4年)の大地震によって隆起し、港が消滅したとの記録があります。1889年(明治22年)には流域に大淵村が置かれ、1956年(昭和31年)横須賀町と合併して小笠郡大須賀町となりました。現在では、2005年4月1日の合併により掛川市となっています。

海岸線の変遷海岸線の変遷

大渕のさなぶり

田植え後の深夜に豊年満作を祈願する祭り「大渕のさなぶり」が現在も伝承されています。

大渕のさなぶりの写真大渕のさなぶり